連携支援室の加川です。
前回が「続けている」なので、今回は「る」で始まりに。
昭和30年代生まれ世代には寺尾聰の「ルビーの指環」。当時はどこへ行ってもこの曲が流れていた。1981年(昭和56年)の日本レコード大賞(TBS系列)、日本歌謡大賞(日本テレビ系列)、FNS歌謡祭(フジ産経系列)の三大賞を総なめした他、ザ・ベストテン(TBS系列)や全国歌謡ベストテン(文化放送系列)で年間1位を獲得し、中でも、ザ・ベストテンでは12週連続第1位という同番組での最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られることはなかった。
寺尾聰と言えば、父は真面目かつ善良的でかつ庶民的な役を演じ、「ルビーの指環」が大ヒットした1981年に「紫綬褒章」を受賞した俳優の故宇野重吉。本人の出演された映画・テレビを私は直接見る機会がなく、半二枚目に近い俳優さんだったと生前両親から聴いたと記憶している。
寺尾聰本人は、故石原裕次郎が立ち上げた(株)石原プロモーションに所属していた。同社が製作した代表作「西部警察(テレビ朝日系列)」にはサングラスをかけ、ニヒルな表情の刑事役がトレードマークとして印象的であった。同プロモーションには、渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡等が所属。しかし、私の中では、「おくさまは18歳!(TBS系列)」(1970年(昭和45年)9月末~1971年(昭和46年)9月末で放映)に岡崎友紀演じる女子高生青山はるか役の教師「海沼先生」役の印象が残っている。共演者に、故石立鉄男、富士眞奈美、うつみ宮土理と言った大物俳優がコメディドラマに出演していたのは懐かしく思われる。岡崎友紀の当時の国民的な人気は、今で云うNHK朝ドラの有村架純並み(と私は思っている)。又、ちょっと前で、フジ月9のトレンディドラマで視聴率が獲れたミポリンこと中山美穂。岡崎友紀は当時の人気のバロメータであつたブロマイド売上が46ヶ月連続第1位。およそ4年間首位を独走し、「身近で可愛い芸能人」の先駆けで、「柔道一直線(TBS系列)」(1969年(昭和44年)6月~1971年(昭和46年)3月末まで放映)でヒロインのミキッペ役を演じた同い年の吉沢京子ともに一世を風靡したあの頃はテレビにくぎ付けしていたような・・・・・(当時は録画機がない時代)。
今年も残すところ2ヶ月余りとなり、その年の流行や出来事をマスコミ各社がそろそろ話題に取り上げる頃に。寺尾聰の「ルビーの指環」が大ヒットした1981年は何があったか。
<出来事>
・五六豪雪
・ロナルドレーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任
・日本劇場が閉館、48年の歴史に幕
・横綱「輪島」が引退
・米原潜当て逃げ事件(日昇丸事故)
・マザー・テレサ初来日
・広告付きはがき(エコーはがき)が発売される(売価35円)
・ダイアナ妃、チャールズ王子と結婚
・台湾の航空機墜落事故で、作家向田邦子が死亡
・セリーグで巨人が4年ぶりの優勝
・常用漢字が定められる
・写真週刊誌「FOCUS」創刊
・福井謙一がノーベル化学賞を受賞
・三浦和義のロス疑惑事件発生
以上の出来事があった他に、邦楽年間ランキングトップテンの中に、イモ欽トリオ/ハイスクールララバイや竜鉄也/奥飛騨慕情。邦画ランキング1位は連合艦隊、洋画ランキング1位はエレファントマン。おもちゃは「機動戦士ガンダム」と「チョロQ」。高校野球の優勝校は、春の選抜がPL学園、夏の選手権は報徳学園。大相撲は北の湖と千代の富士の黄金期。日本カー・オブ・イヤーはトヨタの「ソアラ」。流行語は、えぐい(かっこいい)/クリスタル族(カタログ文化にかぶれた若者)/粗大ゴミ(定年後家でゴロゴロしていて妻の目障りになる夫)/んちゃ(アラレ語でこんにちは)/なめネコ(セーラー服や学ランを着た猫の写真やポスターが流行)
以上あの頃を振り返りましたが、今年はどんな話題があったかを皆さんも思い浮かべて見てはいかがですか。
―――Blogmasterコメント
今年もあと2ヶ月余りとなりました。今年1年を振り返っても、良いことや悪いことが多々あったかと思います。いつの日か、過去の出来事として感慨深く思い返せれば良いと思います。